ココロときめかせる徳之島3:縄文の貝塚とさとうきび

東村山キヨの部屋

実は行きの飛行機が、台風17号のため鹿児島から徳之島行きが欠航となり、鹿児島で一日足止めとなりました。でもせっかくだからとすぐに市内に向かい、黎明館という歴史資料館に行ってきました。

鶴丸城の城壁
天璋院篤姫

 

 

宮崎あおいの当たり役だった篤姫様の銅像になぜか手を合わせ、そして中に入りました。

 

 

縄文時代の土器も展示されていました。わが徳之島伊仙町にもずいぶん昔に貝塚が発見されており、そこから縄文後期の土器が多く発掘されています。そして平安時代にはすでに朝廷に貢物をしていたらしい木簡の札が発見されており、木簡には徳之島の表記はありませんでしたが、今の奄美大島を「アマ(※木ヘンに奄)美嶋」と表記しています。ついでに言いますと「多褹嶋」という木簡もあり、これは今の屋久島、種子島のことです。

またここには明治維新の殿様、志士たちの資料が多く展示されています。島津斉彬、西郷隆盛、大久保利通らの直筆の書状が展示されておりじっくりと観察させてもらいました。やはり文字には人柄がでるのか、西郷隆盛は太めの筆で丸っこい文字を書いていました。島津斉彬は細い筆先を硬軟使い分けながら自由な書体で、曲線が印象的な字体でした。大久保利通は鹿児島にいたときの字体と東京で権力を行使していた時の字体ではずいぶんと違う印象でした。どちらも角々しい文字ですが、後年の方は手紙を書きなれ達筆になったのか、紙にラインがはいっているようなまっすぐな行立てに丸みが加わり、ある意味美しい手紙でした。

鹿児島名物とんこつラーメン
地元キャスターもびっくり台風17号
行きつけのコメダが西日本ではモーニングサービスのおかわりが¥100だった!!

 

 

 

 

 

 

 

さて、島に入ってから奇遇にも島の歴史資料館を見学できました。

  

発掘されている土器の破片を合わせ組み立てます。右端は人骨の一部。現場の様子が伝わってきて、なんとも不思議な気持ちになりました。

貝塚から出土した人骨

 

こちらは2000年前の女性の人骨です。きれいに出土しました。

推定年齢60代、身長144~146cm。弥生時代の真っ只中を生きた女性です。ちょうどイエスキリストと同年代です。思ったより長生きですね。

 

 

 

 

 

 

こちらさとうきびを搾る機械です。

鹿児島黎明館に展示してあった絞り機
伊仙町の歴史資料館に展示してあった絞り機

 

奄美地方はさとうきびから作る黒砂糖が有名ですが、きびから汁を絞り出す器具が展示されていました。牛にひかせて絞ります。黎明館の機具はなぜか全部木製です。徳之島で展示されていたのは実際使われていたと思われる絞り機。歯車部分は鉄製です。

さとうきびの専売制をしいた島津氏はそれで財政再建をするのですが、後期になるとなんと年貢の割合は2:8になり、これは本土の農民も同じでした。

なんとも大変な時代です。殿様たちの進取の気性もこうした農民たちの犠牲の上に成り立っているのだと新たに認識し直しました。

 

 

 

さて、こちら現在のきびしぼりです。黒砂糖を買いに製造所へ行くと、ちょうど機械を回していました。

   

そしてこちらが私のデスクヨコで、口さびしいときのお茶の友となっている黒砂糖です。疲れて頭が回りにくくなった時にミネラルいっぱいの甘さが頭と心に染みわたります。

 

徳之島の旅、一緒に回ってくださりありがとうございました。

移住希望の際には、東村山にご連絡ください。町役場にお知らせいたします(笑)

 

文:キヨ

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