
新刊本『「人生苦闘ゲーム」からの抜け出し方』(以降、『人生苦闘ゲーム』)が面白かったので、ご紹介します。どう面白かったかというと、「人生脚本」からの抜け出し方、そしてその後の一風景を見せてくれているところです。
「人生脚本」というのは心理学の一つの理論で、幼少期の親とのかかわり方で人格の大部分が形成されるというものです。どんな幼少期を送ったかによって、苦手なタイプだったり、怒りがわいてくるシチュエーションだったり、自分を表現できなくなる環境設定だったりが形づくられ、そして我知らず、その心の形に合わせた脚本を自らが書いて、その人生を生きるというのです。
交流分析のこの「人生脚本」では、まずエゴグラムで自分の性格を大まかに把握して、次に、具体的にどんな言葉や相手の感情で自分は傷つくのか、もしくはどんなシチュエーションで「自分は足りない。もっと頑張らなきゃ」とか、「相手の機嫌を損ねてはいけない」などの感情が湧いてくるのかを観察していきます。
簡単に言うと、父親がこわい人だったら、年上の男性が苦手になります。そのうえで苦手感情の表現の仕方にも、萎縮だったり、攻撃的になったりと人によって違います。そうやって自分を分析していきます。
例えば、「自分だけ我慢すれば物事はうまくいくんだ」と考えがちな人は、その幼少期に、親が厳しくしつけをする人で「弟・妹の面倒をみなさい」とか「もっとしっかりしなさい」と足りない部分ばかりを注意されていたり、反対に子どものように手のかかる親から、「あなただけが頼りだわ」と過分な要求をされていたり、というような家庭環境で育ったというわけです。(後者は自分だけが犠牲になればという発想ですね)
また相手はそこまで要求していないのに、あるシチュエーションになると勝手に「もっと頑張らなきゃ」とか「相手を喜ばせなきゃ」と自分に負荷をかけていくのも、同じく家庭環境によって培われたものです。
「人生脚本」はみな通過する生育過程で構築されますので、そこから逃れることはできません。しかしその脚本を書き変えることはできるというわけです。
さて『人生苦闘ゲーム』では、脚本を変えたりもしくは脚本から一歩外へ出るということを、理論を学んで行うのではなく、自己観察をし、自分の「ハート」に触れ、そして「マインド」のくびきから自由なっていく作業を、本を読みながら進めていきます。「マインド」とは脚本を書いている張本人です。それに対し「ハート」は生まれながら持つその人のエネルギーです。まずは「マインド」を頭の中の「語り手」として、客観視していきます。読み進める過程で「語り手」のくせや扱い方を教えてくれます。自分の幼少期を思い出してみると、ある体験から「語り手」が自分に必要以上のさみしさや不安を与え、脚本づくりをし始めたことがわかります。
そのうえで『人生苦闘ゲーム』が秀逸だと思うのは、その向こうの景色を見せてくれていることです。ただ客観視(これでも大変な変化です。これは強調したい)だけではなく、「その向こうはどうなっているんだろう」の想像に、先に景色を見せてくれるのです。きっとそれは人によって違うものかもしれません。進み方によっても違うでしょう。しかし「向こうがこんなにすがすがしい場所ならば、きっと今の閉塞感は「語り手」がつく出した創造物に違いない」と感ぜずにはいられないのです。
各章末にセッションがついており、目を閉じて、呼吸を整え、呼吸の循環に気持ちをよせて、自分のハートを感じるように瞑想をします。また本文では、自分の脚本がどのように書かれているのか、心の中のブロックに気づいてそれを客観視できるように導いてくれています。
交流分析が知的に作業を行っていくものとするならば、メアリー・オマリー(著者)はそれをまるでカウンセリングするような形で、本人の気づきをうながしていきます。ですので途中で何度も読み返したり、一つの文章が心にストンと落ちるまで昔を思い出してみたりします。人によっては、全体の流れを理解して、自分の心の欲する章から深く読み込み始めるかもしれません。
おすすめです。
文:キヨ
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